創作と制作と生活と。

2014.01.12 PoorWriting 

以前これは中村勇吾さんが「katte」としてblogに書いてたことで、
bookmarkを漁ってたら今はもうblogのリンクは切れてて、それでもどうしても読みたくなったので
Internet Archive からそのまま引用してきた自分用メモ。ええんかな。

いわゆる「創作」から創意が抜け落ちると、只の「制作」となる。
「創作」と「制作」は紙一重で、どんなにお膳立てが良くても、作る人間の構えひとつで「創作」は「制作」化してしまう。
逆にどんなにしょうもない仕事に囲まれていても、その中に取り組む価値のある「創作」を見出すことは出来る。

環境として出来るだけそれぞれの創意を掬い取るような状況を作ることは出来るが、
最終的には、その人それぞれの欲望であったり、発見能力であったり、根気であったり、に全てが託されている。
そこに個人の欲望がなければ、どんなお膳立てをしても、何も始まらない。

今日、thaが9人になって、あーそろそろ組織なんだな。としみじみ実感した。
とてもスキルの高い人も居れば、発展途上の人も、つい最近始めたばかりの人もいる。
僕も含めてそれぞれがそれぞれなりに仕事を通じて自分のスキルを高めていければ、と思うが、
一体それは何のスキルなのか。制作のスキルなのか、創作のスキルなのか。
この薄皮一枚の隔たりだけは意識して欲しいと思う。

基本的な制作スキルは、社会に対するある種の責任として必要で、これが無いと周りの皆が困るので、
何やかんやでぎゃーぎゃーダメ出しされたりしながら次第に進歩していく。
ちゃんと皆とコミュニケーションとりながら真面目にやってりゃ、そのうち上手くなるさ、という種類のものだ。

が、創作スキルに関しては、これはいかんとも干渉しがたい。
こればっかりはもう自分自身で勝手に挑戦してもらって、勝手に鍛えてもらうしかない。
周りのサポート万全、お膳立てされまくったヌルい創作ほど寒いものはないので、基本、ほうっておくしかない。
僕が出来るのは、どうか皆さん勝手に色々と挑戦しててください、と日々念じることぐらい。 
まあでも、人の勝手だからな。

会社って難しい。

なんかこれを読んだ当時うんうんやっぱそうだよなとか勝手にすげー納得してたのを覚えてる。
インターネットに出会ってこういう先人達から勝手に教えてもらうみたいなのが自分の中で当たり前化して、いい時代だなぁとか思ってた。

自分にとって勝手につくるってのは当たり前でどちらかというとそれが遊びって感覚で、
ずーっと遊んでることが生活の一部としては正常なんだけど他者から見るとそれは働きすぎという風に映ることもあるようで。
そういう誤解もこれが例えば全く別職種だったらそんな風には映らないのかなぁとか考えてた。
料理研究家が自宅でごはんつくったり、サッカー選手がオフの日にサッカー観戦に行ったりトレーニングしたり?

たぶん一番好きなことを四六時中考えてるのは割と自然な行為だし、やっぱそれが幸せだーとかそんな類いの話でもないような気もする。
なんか自己解決しちゃったな。

そいえば普段はこいうの非公開なんだけどデザインアップデートの巧妙とも言える。のかもしれない。

you

© rettuce.com